ドイツ生まれのアメリカの <ドイツ・文明・社会>

哲学者マルクーゼは『エロス的文明』・1955で次のように主張した。文明社会は、性を家庭とベッドのなかに性器優位のものとして閉じ込め、これに違反する者に対しては売春婦、変質者、性脱常者といった汚名を浴びせる。

しかし、性本能は単なる性器優位の性よりももっと広い内容をもっている。

つまり、生殖にだけ役だつ性というよりは、肉体の性感帯から快楽を得る機能をもっている。

生殖は単にその結果にすぎない。

性を単なる生殖でなく、このような人間のパーソナリティー全体を含めたエロスの機能に引き戻し、そのエロスを抑圧することなしに昇華させることこそ、疎外された労働を打破する原基となる。

こうして仕事と遊びとが一致する状態は、オートメーションがすべての労働を代行してくれる時代に実現するだろう。

また、ケート・ミレットKate Millett・1934― は『性の政治学』において、性とは政治的含みをもつ一つの地位カテゴリーであり、性交は個人的ないし私的領域における性の政治のモデルとしての役割をもちうる、と述べている。

フランスの政治思想家D・ゲランは、性の解放が社会的解放と一体をなしていると考え、次のように述べている。

性欲の抑圧は、一夫一婦制と家族制度とを守るために欠くべからざるものであり、性欲抑圧が経済的奴隷制度の一手段になっている。

人間疎外の脅威に対抗するのはエロスであり、各自がそれぞれの流儀で愛を行う自由は人間に残された最後の権利であり、人間を擁護する手段の一つである。

性の自由という問題はなく、自由一般の問題だけがある。資本主義とピューリタニズムとに押しつぶされている人間の完全な解放にはエロスの解放が必要である。

そして、特定の相手や性行為の特定の型にこだわらぬ、あらゆる形の、不特定多数の人々との性愛は、友愛的な社会を築いていくための一つの契機である。

このように、性を性器や性交に限定せず、セクシュアリティとしてとらえたり、性を解放すべきだという考えにたどり着くまでに、2000年の歴史を要したのであった。
update:2010年02月25日